中国古典の学習方法が今でも生き残っている

日本人の英語ベタは今も変わらないように見えます。
若い世代はこのグローバルな現代、もっと英語がうまくなって当然のはずだよな…と思うのだが、どうやら当然なことにはなっていないらしい。

受験体制がそうさせているのだよ、という人もいれば、学校の先生が文法ばかり言うからダメなんだと主張する人も少なくない。そして、中学では遅すぎるのだ、という意見が強まり、ついに最近小学校から英語学習をスタートすることになりました。

いろいろな主張があり、それぞれに「うん、そうかもしれない」と思わせる説得力は半端ではない。
ところが、誰も言わない理由が別にあると私は思うのです。
はい。話はちょっと長くなりますが、聞いて(読んで)ください(笑)

現在残っている日本の最古の文書は古事記(712年)で、それ以前のものは残っていないそうです。でも、その100年前の聖徳太子(574~622)の頃には既に文字(漢文、漢語)を使っていました。紀元607年、第二回目の遣隋使の聖徳太子の文書「日出ずる処の天子…」は有名です。
中国の皇帝に宛てた手紙で、相手が読める漢文だった、と思います。
一方、仏教が正式に日本にもたらさられたのが、その更に前、紀元538年とされています。その伝来と同時に仏典(多分、すべて漢文。サンスクリット語ではなかったと推測)も多く日本に伝わっていたと思われるので、日本人はそれらを見ていた(読んでいた)はずです。
正式な年号が538年となると、それ以前に既に漢文を読解できた人々がかなりいたと考えるのは自然です。そうでなかったら、仏典などを日本に持ってきても意味がなかっただろうから。
こんな風に考えると、漢文・漢語という中国語が日本にもたらされたのは、大雑把に紀元500年前後(紀元200年代と言う説もあるらしいが)だと想像できます。

ところで、日本の縄文時代、弥生時代には日本には文字がなかったことになっています(「ホツマツタエ」という古代語があったという説はありますが)。
日本に文字がなかった理由について、私は仮説を考えました(検証はできないので、「仮説」とも言えないかもしれませんが)。
それは日本の古代には異民族の支配・被支配の攻防がなかったので、文字の必要性がなかったという仮説です。
言葉の違う異民族が近隣地域に多数存在した場合、支配者は支配を徹底するために言葉を必要としたはずです。
中国大陸のすさまじい支配・被支配の攻防は、まさしく言葉という伝達手段を必要としたと思うのです。

世界最古の文字のひとつ、楔方文字の使用者はフェニキア人だと高校時代に教わりました。
今から5000年くらい前の地中海貿易で栄えた民族です。
詳しくは知りませんが、その後、地中海周辺の民族は多くの文字を発明しました。
文字の発達は、多民族との接触(交易、戦争、支配、被支配などの攻防)がキーだと思うのです。相互に意思を疎通するためには文字が絶対必要だったと。

日本は5000万年前に大陸から徐々に分離し始め、海の中の孤島になったのは1万5千年くらい前です(説によって誤差はありますが)。
1万5千年も隔離されていると、言葉が独自に発展するのも自然なことでしょう。

紀元500年頃、文字のない時代の日本人は中国の文字(漢文、漢語)を知ることになります。
大きなショックを受けたのではないかと想像します。
中国の素晴らしく完成した文字は当時の日本の支配層(天皇を中心とした貴族階級)の知的好奇心を大いに満足させたと思うのです。
そして、支配層のイメージアップに利用できると直感したのではないだろうか。

漢文を学ぶにあたり、中国語の発音を忠実にまねして、中国人と会話しようとしたわけではなかっただろうと想像します。
もちろん言語をそのまま習得して、当時の中国人と会話ができた人もいたとは思います。あるいは通訳(通詞)を専業とする家系の人々がいたかもしれません。
そして日本語訛りの中国語がいつしか漢字の音読みの読み方に定着していったのでしょう。

1500年前から明治まで、日本人はこの漢字(漢語)を高尚な文字、知的レベルの高い人々の文字、学問があることを人々に印象付ける文字として珍重してきました。
途中で、ひらがな、カタカナを発明し、レ点を使わない書き下し文の工夫もしましたが、中心にあったのは、漢文・漢語への憧憬の念でした。

江戸時代は寺子屋でひらがな交じりの漢字を多くの市民が学び、武士は子供のころから論語などの四書五経や朱子学を漢文や書き下し文で学びました。
故に、日本の識字率は非常に高かったと聞きます。

ひたすら漢語の意味を理解することが学問の中心だった時代。
しかし漢語を学んでも、中国人と会話しようとはしなかった時代。
「あの人は学問がある」と言われれば、最高の誉め言葉だった時代は長く続きました。
「学問がある」とは漢文を自由自在に読め、非日常語の漢語が口をついて出てくる人のことだったようです。

ところで、「学問」という英単語はありません。
和英辞典ではlearning, studyとしています。今でいう「勉強」というニュアンスです。
「学問」という言葉から受けるイメージは「勉強」とは違いますよね。

明治になって勉強の対象が漢文から英語になっても、日本人は漢文を勉強してきたやり方をそっくり(?)続けました(一部、例外的な人はいましたが)。
そうです、読んで意味を理解することです。
会話することのニーズはほとんどありませんでしたから、英語も日本語訛りの“音読み”(面白い表現?)でした。

私がここで言いたいポイントは、今の英語の勉強は1500年くらいの漢文学習という長い伝統の上にあるということです。
私達日本人に脈々と受け継がれ、しみ込んでいる学習文化。
だから、日本人なら誰でもスーッと自然に入り込める方法が漢文方式の勉強法だということです。

今でも、日本全国で行われている英語教授法はまさしく漢文式勉強法の流れ(伝統)に沿ったもので、その時々の社会のニーズに影響されて多少の修正が入っても、基本的に長い伝統的な学習方式を踏襲したと言えるのではないかと思うのです。

長い外国語(漢文・漢語)学習の伝統が生き続ける環境で、以前の方法とは違う、会話中心のやり方で英語を勉強しようといっても相当無理があるように思います。
会話中心の学習に変更したいのなら、100%の意識改革、意識転換を図らなければならないでしょう。

英語は学校で勉強する分にはいいが、普段の日常で英語を話すのは恥ずかしい、と言う人さえいます。
日本人の著名人や要人が海外で英語をしゃべっているシーンをテレビでほとんど放映しないのも、英語に対する苦手意識が国民に張り付いているからでしょう。
喋る英語に関しては、いまだに聞きたくない、見たくないとする人々が多いように思うのです。日本人が英語をしゃべっているのを見ると、“こっぱずかしい”みたいに、毛嫌いする人が…

会話を重点とした英語教授を“本気で”推し進めるには、ものすごい覚悟が必要と書きましたが、大げさなことではないのです。
恥ずかしいとか、毛嫌いする心理をまず“消去”しなければなりません。

会話中心の英語学習の推進は“建前の話”としてしか議論されていない、と私には思えて仕方ありません。誰もまじめに、心の底から議論していないと思うのです。
(ちょっと極論過ぎ? うーん…かもね)。

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