先日NHKのBS放送で、久しぶりに「七人の侍」を観ました。
この映画は1954年公開の映画なので、当時山奥の小さな町の中学生だった私は映画館で観る機会はなく、10年以上たった1965年になってアメリカで初めて観たのです。
留学していた先の大学のキャンパス内のホールで上映されたので、観客はアメリカ人の学生や先生方でした。
映画の評判は私も耳にしていたので、「いい映画らしい」とは思っていましたが、日本映画をアメリカ人と一緒に観るという経験はそれまでになかったので、映画が始まる前は「みんながっかりしたらどうしよう…」という不安もありました。
でも私は映画大好き人間なので、上映が始まったらすっかり映画の世界に引き込まれてしまいましたが…
画面には英語の字幕が出ていて私もつい読んでいたのですが、侍の言葉や百姓(農民)の言葉がこんな風な英語になるのか、と興味をひかれました。
侍は独特の喋り方をしますよね。
それに貧しい百姓と無頼の酒飲みや博打打ちの言葉もそれぞれ違いますが、それら全部が英語としてはごく共通の表現になっていたのが意外でした。
ああ、訳すとこんな風になるのだな…と感じたのを覚えています。
野武士との戦闘で勝利するのがテーマの映画でしたが、その中で若い侍と百姓の娘の淡い恋の駆け引きのシーンがありました。
いつ死ぬかもしれないという緊張の中、若い侍が百姓の娘から無言の誘いを受けドギマギするシーンに、アメリカ人の学生らは大笑いしていました。
日本人の私には侍の恥じらいの心情が手に取るように分かりましたが、アメリカ人にとってはなんともウブで純な様子がすごくかわいらしかったのだろうと思います。
私もつい誘われてアメリカ人と一緒に笑いました。
映画が終わって、周囲のコメントが色々聞こえてきました。
皆とても素晴らしい映画だったと満足しているようでした。
そんな言葉を聞きながら、日本人としてちょっと誇らしい気持ちになったのを覚えています。
この「七人の侍」はアメリカでも評判になり、後に西部劇にリメークされています。
ユル・ブリンナーやスティーブ・マクウィーンが主役を務めた「荒野の七人」です。
この映画がアメリカでとても評価され、有名になった理由はたくさんあると思います。
例えば、侍が単に命令を出す支配者ではなかったこと、農民の総意で野武士との対決を決めたこと、農民の意志が強く表現されていたこと、主役の人々が現代にも通じるような人間味が豊かでそれぞれ個性的であったこと、シーンごとの動きに無駄がなかったこと、迫力のあるダイナミックな戦闘場面があったことなどなど。
全体がある種民主的な合意で敵である野武士に戦いを挑むというテーマも、ユニヴァーサルで文化、伝統の違いを超えて理解しやすかったのではないかと思います。
実に3時間半の大作ですが、私は何度観ても1秒も長いと感じる瞬間はないほど素晴らしい映画です。
これは余談になりますが、アメリカの大学でその他にも映画を見る機会がありましたが、一つ私にとって驚きだったことがあります。
同じ学部の学生らと映画を見て感じたのですが、私は映画が素晴らしければ数時間はその余韻に浸ってしまうクセがあるのですが、他のアメリカ人の学生らはそれがないのです。 映画が終わってその評価や感想をいくつか口にした後は、すぐ翌日の講義の話を始めるし、予習にもとりかかる。さあ勉強だ、みたいに…。
気分転換が恐ろしく速く、あっという間に次のことに頭を切り替える。
まあ、私がちょっと違うタイプということもありますが、それにしてもその気持ちの切り替えの早さには何度も驚かされました。
日本に戻り外資系企業で働いていた頃の外人マネジャーらの気分の転換の速さにも時々驚かされたので、学生だけじゃなくアメリカ人一般の傾向であろう…というのが私の推察です。
このブログを読んでいる方の中で、同じ印象を持たれた方はいるでしょうか??