日本語と英語の“トーン”の違い

離れた所で話しているアメリカ人らしき男性の声がこちらにもよく聞こえてきた、といった経験はないでしょうか。カフェやレストランだけでなく、通りでそんな声を聞くこともあるでしょう。そんな声を聴いて振り返ってみるとアメリカ人らしき人だったと。人にもよりますが、彼らの声はよく響きます。

私は日本語と英語の“声の響き”について関心があるので、以前から映画やテレビなどでよく観察してきました。また、自分でも多少彼らの英語の声の響きに近づけるようトライしてきて、その経験(体感、フィーリング)から、彼我の差を感じるのです。どうしてそんな違いが出るのか、考えてみました。次の説明は一つの“仮説”(試みの説)です。

日本語は口の中の前の部分で発声(発語)し、英語は口の中の奥の方(喉の方)で発声する、ということだと思います。と書いても、今一つその意味が理解できないかもしれませんが…。ちょっと誤解される言い方ではありますが、「口先発音」と「喉発音」と表現すると私の言いたいことを少し理解してもらえるかもしれません。「口先発音」って好きな表現ではないのですが。

敬語のトーン
日本語には敬語(尊敬語、謙譲語、丁寧語)があります。敬語をしゃべる時、よく注意して自分を観察すると、トーンが高くなっています。気持ちの緊張が姿勢や顔、口に現れ、結果として声が高くなっているのでしょう。会社の新人教育では「社外からのお客様には、トーンを上げた丁寧な声で応対してください」などと教えたりします(私は人事部でした)。

お客様には最大限の丁寧さを示すために、私達日本人は自然に声のトーンを上げて、尊敬・謙譲の意を相手に示すわけです。伝統というか、独特の文化でしょう。

ところで、敬語って日本の歴史の中でいつごろから日本語に出現し、定着したのでしょうか。何故敬語は必要だったのでしょうか。これって、“変な疑問”でしょうか。

リラックスした時のトーン
会社の同僚や部下に話す時には別のトーンがあり、家族間で話す言葉や声にも、更に別なトーンがあります。自分で独り言を言う時のトーンは敬語のトーンとははっきり違います。イライラした時などに発する“怒った声”のトーンもあります。それぞれ、声のトーンは違います。怒った時の声で、特に“ドスを聞かせたような声”は、一番トーンが低いように思います。喉の奥で、喉(声帯、そして仮声帯も)を振動させて発語します。

違うトーンを出せるのは、口の中の発声の位置が違うからだと私は思うのです。 これら色々なシチュエーションで話す日本語も、口の中の前の部分か、中頃で声を作ることがほとんどだと私は感じています。すなわち、口先から、徐々に口の奥(せいぜい中間くらいまで)に移動していくバリエーションです。

口の中の、どの位置で発語するかは、生まれ育って成人になるまで、完全に無意識になっています。

こんな私の話に多少でも疑問を感じる方は、ちょっと注意して自分で観察してみてください。ああそうなのかなあ、と気づくのではないでしょうか。と思います。

「うやまう(敬う)」vs 「へつらう」
「口先で」という表現には、信用できないというマイナスイメージがあります。 「敬う」つもりでトーンを上げていると、いつの間にか「へつらう」声のトーンになっていたりします。「へつらう」は「媚びる」と同じ意味です。トーンは最も高いと思います。「媚びる」とは嫌な言葉ですが、日本語は「媚びる言語だ」と主張する人もいます(嫌ですね、でも一面、真理をついている…?)。

「敬う」が本来の姿勢(態度)だったものが、上の人(上司、お客様、見知らぬ他人など)に対してゴマをする態度に変わり、「口先の」言葉になり、気付かないうちに「媚びる」言葉になっていた…まあ、日常の中であり得ることですね。

発声のメカニズム
声は喉の声帯で声になる、と思っていますが、声帯の声は“原音”で、それを口の中や鼻腔に響かせることによって私たちが聞いている「声」になると言われています。ですから、声帯の振動は声の始まりであって全てではないのです。 声帯は喉頭の中にあり、外から触れるのは喉仏です。言葉を発すると喉仏は少し上に動き、喉の筋肉が緊張状態になります。上がった位置の声帯で緊張した喉で発語すると、口の前部分で声になるときにはトーンが上がるわけです。
喉仏が下がって、しかも喉が緊張してない状態で声を発すれば、トーンは低くなります。独り言を言う時は確かに低くなりますよ。

日本人とアメリカ人の声の重複部分
私の個人的な私見(独断?)では、日本人の「家庭で話す」時の声が、アメリカ人の「やや軽い声」のトーンに近いと思うのです。アメリカ人の“深い声”は、トーンが低く、よく反響している声です。日本人の発声ではめったに見られません。しかし、私たちもイライラして声を荒げて話すときは、アメリカ人の喉発声に近いものと思います。

怒って話すのではなく、心は冷静に、しかし、怒ったときの喉の状態で英語を話すと、アメリカ人と同じベースの英語になる・・・というわけです。難しいですね(笑)。

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