英語って、学校で初めて勉強し始める人がほとんどです。私もその一人でした。最近までそれは中学1年の時でしたが、去年4月からは小学校5年生から正式科目として英語を勉強することになったようです。ですから、英語を勉強するのが初めての時期はいまや小学校5年の時ということになります。
英語って、外国語です(笑)。
発音も文法も文字も語順も全く違う言語です。その外国語を初めて習うのです。どれだけ苦労が多いことか…思いやられます。
もっとも大きな“障害”(難しさ)は、日本語の省略形の会話体を、英語ではほとんど使わないことです。阿吽の呼吸とでもいう日本語独特の短い表現。
例えば、次の日本人の会話の例を見てください。省略形ばっかりです。
(会社の同僚、よく知っている仲間に朝会社へ向かう途中で会った)
A君: いやー、珍しい。めったに会わないね。
B君: そうだね、この時間帯じゃないんだね。いつも何時頃?
A君: うん、もうちょっと早いんだけど、今日は出かける時ガタガタしちゃって。
B君: 最近忙しそうだね。
A君: 仕事振られること多くってさ。
B君: (会社に着いた)じゃあまたね。今度、飲みに行こう。
A君: うん、いつか。じゃあ。(ちょっと手を振る)
これって、ごく普通の会話です。話している人の意図はよく分かり、あいまいなところは何もありません。でも、英語で話すとき、こんな風な省略した形にはなりません。同じことを話すとすれば、全く違う文章構成を強いられます。
それは、
- 主語を言う。「私、俺、僕」とか、「我々、私達、俺達」とか。Itとか。
- 動詞を言う。is も動詞。省略しない。
- 主語+動詞+目的語。いずれも、ほとんど省略しない。
- 話のテーマ(主語)が何か、はっきり言う。etc.
生れた時から話していて体にしみ込んだ日本語の文型を、少し意識さえすれば英語風に変えられるか、と言えばほぼ無理でしょう。長期間(何年も)努力して、やっと可能になる…という具合でしょう。
私達って、日本語では主語をほとんど言いませんね。「私、私達」って言う時は、自分や自分らを強調したい時だけでしょう。一方、英語ではいつでも、I, I, Iですし、we,we, weです。
上の会話の「めったに合わないね」は We don’t meet so often. 早速weです。
「最近、忙しそうだね」は You seem to have been busy lately. と youです。youなしで、この会話は、まず考えられない。
一方、英語を読んで、その意味は日本語に訳してよく分かるとしても、同じシチュエーションを表現する場合の日本語は、またずいぶん違うものです。
例えば、
I was reading the newspaper this morning and noticed a short but a little interesting story about a woman.
これに学校で習ったような和訳をつけるとしたら、次のようになるでしょう。
「私は今朝新聞を読んでいました。そして、私は短いが少し興味ある、ある女性の物語を見つけました」
でも、日本語で同じ内容のことを言うとしたら、次のような表現になるでしょう。
「今朝、新聞読んでたら、女性の短い記事、ちょっと面白いと思ったんだ」
普段、私たちが頭の中で日本語で物を考える時、まさしく日本語風に考えると思うのです。決して英訳のような文章で考えないでしょう。
まさしくそこが大きな“障害”(難しさ)の一つだと思うのです。
その難しさを克服しようとすると、長期の鍛錬(練習)が必要だと思うのです。
なぜ長期に鍛錬しないとダメかというと、無意識の領域まで英文の文型を落とし込まなければならないからです。英語を喋る時、無意識に英語風になっていなければ話す内容そのものに十分な注意を向けられないからです。
無意識にできるまで練習して落とし込むって、短期にはできません。
人によって長短はありますが、長―い時間がかかります。
一種の二重人格を作り上げる、に似ています。日本語でしゃべっている時と、英語でしゃべっている時と、自分の性格が少し違うなあ、と感じるほどにならないと、英語の文型が身に着いたことにはならない、と言えるかもしれません。
成績の良い高校生が英語の試験で良い成績を取り、有名大学に入学でき、そして問題なく卒業できたとしても、英語に関しては和訳はできるが英文らしい英語を書くこともできないし、ましてや英語を英語らしく話すことはできない、という例をよく見かけます。
まあ当然のことです。
頭の良し悪しは別として、とにかく英文の文型を無意識の領域まで落とし込む、長期の練習(繰り返し)を自分に課すことです。それには繰り返ししかありません。