英語学習は長期の鍛錬 -まず日英の表現方法の違いを認識する

英語って、学校で初めて勉強し始める人がほとんどです。私もその一人でした。最近までそれは中学1年の時でしたが、去年4月からは小学校5年生から正式科目として英語を勉強することになったようです。ですから、英語を勉強するのが初めての時期はいまや小学校5年の時ということになります。

英語って、外国語です(笑)。
発音も文法も文字も語順も全く違う言語です。その外国語を初めて習うのです。どれだけ苦労が多いことか…思いやられます。

もっとも大きな“障害”(難しさ)は、日本語の省略形の会話体を、英語ではほとんど使わないことです。阿吽の呼吸とでもいう日本語独特の短い表現。
例えば、次の日本人の会話の例を見てください。省略形ばっかりです。

(会社の同僚、よく知っている仲間に朝会社へ向かう途中で会った)
A君: いやー、珍しい。めったに会わないね。
B君: そうだね、この時間帯じゃないんだね。いつも何時頃?
A君: うん、もうちょっと早いんだけど、今日は出かける時ガタガタしちゃって。
B君: 最近忙しそうだね。
A君: 仕事振られること多くってさ。
B君: (会社に着いた)じゃあまたね。今度、飲みに行こう。
A君: うん、いつか。じゃあ。(ちょっと手を振る)

これって、ごく普通の会話です。話している人の意図はよく分かり、あいまいなところは何もありません。でも、英語で話すとき、こんな風な省略した形にはなりません。同じことを話すとすれば、全く違う文章構成を強いられます。

それは、

  • 主語を言う。「私、俺、僕」とか、「我々、私達、俺達」とか。Itとか。
  • 動詞を言う。is も動詞。省略しない。
  • 主語+動詞+目的語。いずれも、ほとんど省略しない。
  • 話のテーマ(主語)が何か、はっきり言う。etc.

生れた時から話していて体にしみ込んだ日本語の文型を、少し意識さえすれば英語風に変えられるか、と言えばほぼ無理でしょう。長期間(何年も)努力して、やっと可能になる…という具合でしょう。

私達って、日本語では主語をほとんど言いませんね。「私、私達」って言う時は、自分や自分らを強調したい時だけでしょう。一方、英語ではいつでも、I, I, Iですし、we,we, weです。
上の会話の「めったに合わないね」は We don’t meet so often. 早速weです。
「最近、忙しそうだね」は You seem to have been busy lately. と youです。youなしで、この会話は、まず考えられない。

一方、英語を読んで、その意味は日本語に訳してよく分かるとしても、同じシチュエーションを表現する場合の日本語は、またずいぶん違うものです。
例えば、
I was reading the newspaper this morning and noticed a short but a little interesting story about a woman.
これに学校で習ったような和訳をつけるとしたら、次のようになるでしょう。
「私は今朝新聞を読んでいました。そして、私は短いが少し興味ある、ある女性の物語を見つけました」
でも、日本語で同じ内容のことを言うとしたら、次のような表現になるでしょう。
「今朝、新聞読んでたら、女性の短い記事、ちょっと面白いと思ったんだ」

普段、私たちが頭の中で日本語で物を考える時、まさしく日本語風に考えると思うのです。決して英訳のような文章で考えないでしょう。
まさしくそこが大きな“障害”(難しさ)の一つだと思うのです。
その難しさを克服しようとすると、長期の鍛錬(練習)が必要だと思うのです。
なぜ長期に鍛錬しないとダメかというと、無意識の領域まで英文の文型を落とし込まなければならないからです。英語を喋る時、無意識に英語風になっていなければ話す内容そのものに十分な注意を向けられないからです。
無意識にできるまで練習して落とし込むって、短期にはできません。
人によって長短はありますが、長―い時間がかかります。

一種の二重人格を作り上げる、に似ています。日本語でしゃべっている時と、英語でしゃべっている時と、自分の性格が少し違うなあ、と感じるほどにならないと、英語の文型が身に着いたことにはならない、と言えるかもしれません。

成績の良い高校生が英語の試験で良い成績を取り、有名大学に入学でき、そして問題なく卒業できたとしても、英語に関しては和訳はできるが英文らしい英語を書くこともできないし、ましてや英語を英語らしく話すことはできない、という例をよく見かけます。
まあ当然のことです。
頭の良し悪しは別として、とにかく英文の文型を無意識の領域まで落とし込む、長期の練習(繰り返し)を自分に課すことです。それには繰り返ししかありません。

英語の勉強のベストな方法?!

“ベスト”と書きましたが、one of the best waysという英語のoneのつもりで読んでほしいと思います。絶対的なbestってないと思うので。

中学生
学校の授業でやることはすべて勉強する。
プラス、音読。授業で勉強する単元を最低20回は音読する。
教科書は同じものを余分に1冊買い、ぐちゃぐちゃになるまで書き込みをして使う。
思いついたこと、反対語の例文、熟語など、すべて余白に書き込む。これは自宅用。
書き込みのないきれいな教科書を学校に持参する。

高校生
学校で勉強することはすべて勉強する。
プラス、音読しながら文章の一部を暗記する。
一流大学・有名大学を目指すなら、音読はやらない。時間が圧倒的に足りない。
単語数をひたすら増やすことが欠かせません。      

大学生
専攻科目(英文学でない場合)の英文の資料などを取り寄せ、読解と音読、一部は暗唱に時間を割く。自分で英文を書いて、それを暗唱する。不完全な英語でも、まったく気にしない。     
音読・暗唱が次に「話せる英語」に結びつく。

社会人
サラリーマンで「英語が話せる人」になりたいと願う人。 私が念頭に置いてこのブログを書いているのは、既に社会人になっていて英語が話せない、と思っているような方々です。
これからお話することは、私の提案する方法を読んで実行しようとする人にとっては“ベスト”な方法だと思います。
しかし、個人個人によって「合う、合わない」は千差万別です。合わないと思う場合は、無理しないでください。どんな方法でも、合う、合わないがあるからです。
一応、私流の方法を、暫定的に“ベストな方法”としておきましょう。
合うと思った人にはベストなのですから(何回も言いますが…)。

1. 音読する
英語のテキストは沢山あります。NHKのテレビで放送しているものは頻繁に新しいものが出版されています。また、他の多くの出版社からも数多く本が出ています。
私も20年前に英会話の本を出版しています(笑)
それらの本には英文が沢山載っていることでしょう。どんなテキストであろうと、声を出して読めば、「音読」になります(当然ですが)。
英文を大きな声で、はっきりと音読するのです。
時には朗読のつもりで、感情を込めて読むのもいいでしょう。
テキストはあまり長いものでない方がいいと思います。A4で半ページくらいがいいのではないでしょうか。
音読で、口の筋肉を英語に慣らすのです。何十回と音読します。
40回、50回くらい読むと内容も暗記することができるでしょう。
読み進めるに従い、一回の読む時間はどんどん短くなっていきます。
最初30分かかったものでも、10回、20回くらい読むと10分となり、その内5分くらいで読めるようになるでしょう。ですから、1時間に10回も読めたりします。
トータルの時間はたいしたものではありません。
正の字を書いて、回数をページの端に記録してください。
日本に住んでいて、日本語ばかり使っている環境で英語を身に着けようとするには、音読は英会話能力を身に着けるための最強の手段だと思います。
コストも安いものです(笑)

2. 文の意味する情景を想像する(イメージする)
読んでいる英文の意味を考えながら音読します。単語一つ一つの意味を考える のではなく、文章の意味をイメージするのです。
最初は英文和訳をして、文章の意味を日本語で理解します。単語の意味は、 ページの余白に書き込みます。余白をノート代わりに使いましょう。
日本語で 意味が理解できてから、音読します。そして読みながら、内容の情景をでき るだけリアルにイメージします。
街で誰かと英語で話している情景なら、その英文の情景を頭の中でありあり と想像するのです。想像力は慣れるに従い、だんだんとリアルにできますよ。
最初は心理的に努力するのです。そのうち、日本語を意識しなくても、英語の ままで情景をイメージできるようになります。
まあ、そうなってほしいです。

3. 文章で覚える
学生の時、単語帳を作って単語を記憶しようとしたかもしれません。
受験 では圧倒的に有益な方法だったでしょう。でも英会話を身に着けようとする場 合、それはよくありません。
例えば、
rebut 反論する
altercation 口論
capricious 衝動的な
等々と単語だけ覚えても、英会話には使えません。
必ず文章として覚える。後で使えそうな文章として、多少単語を入れ替えてで も、使えそうな文章にして文章で覚える。その方が単語も覚えやすいし、覚 えたら現実の会話で使えます。
rebutを使った例を一つ挙げてみます。(英語の辞書からの引用です)
Our lawyer saved our case when he rebutted the other lawyer’s speech.
これを何回も、何十回も繰り返して覚えたら、rebutという単語も現実に使える 単語になるでしょう。文章で覚えれば、役に立ちます。
更に、これも重要なことですが、rebutの単語が使われているこの例題は、弁護 士同士の議論であるということです。「それって、違うんじゃない?」と、友達同士 の軽いノリの「反論」ではないということです。この例文ではrebutが使える 話題、シチュエーションが理解できます。
とはいっても、上記のrebutの例は練習用にはあまり適切な例ではありません。 弁護士の会話って、私達には身近なものではないからです。ですから、暗記す る文例は後々使えそうな、身近なものを選ぶことが大切です。 文例で、その言葉の使われる雰囲気、ニューアンスを掴むことができます。
す べての文章にこのことが言えると思います。文章を何回も声を出して繰り 返す中で、それも身に着けることが大切だと思います。

4. 身近なことに置換して覚える
自分とは関係ない情景やストーリーの文章は、覚えようとしても覚えにくいし、 後で使えるシチュエーションがないということもあります。
例えば、旅行の 話がテキストだったりした場合、自分が必要としている場面がアメリカ人への 自社の製品の売り込みで英語を使いたいと思っている時など、旅行の会話例 を練習しても場面が違いすぎます。動機付けとしては、弱いでしょう。
そのようなテキストは避けて、自分が望むシチュエーションに近いテキストで 練習すべきです。NHKの英語テキストなどは、広く一般向けの場合が多い ので、よほど注意して選んだ方がいいです。
更に、自分の身近な事例に置換してから文章を覚えるようにするといいでし ょう。
一例を挙げれば、次のような場合です。
Patty had planned to have a party last weekend. She had invited all of her friends and several co-workers. But at the last minute, she got sick and had to cancel the party.
この例で、そのまま練習するのではなく、Pattyという名前を自分の名前に置き 換えるのです。her をmyに変えます。すると次のようになります。
I had planned to have a party last weekend. I had invited all of my friends and several co-workers.
パーティなんかやらないよ、居酒屋には行くけど…だったら、
I had planned to go to a IZAKAYA last weekend. I had invited some of my friends and co-workers.
こんな風な文章に変えて、何十回と繰り返すのです。 繰り返しになりますが、市販のテキストを使う場合、自分の望む環境に近い内 容なのかよくよく吟味することが大切です。ゆめゆめ、闇雲に無関係なテキ ストを買わないでください。

5. 堂々と話す(声を出す)
私たちは、英語が不得意なのでついつい恥ずかしい気持ちになり、態度など やしぐさがぎこちなかったり、緊張したり、おどおどしたりすることも多いも のです。声にそれが出てしまいがちです。弱々しい声で話したり、相手の目を 見なかったり、あらぬ方向を向いて話したり、ケラケラ笑いながら話したり、 体をあっちこっちに動かしたり…。
単語や文章が出てこなくても、相手の言うことがわからなくても、絶対おど おどしない、恥ずかしがらない、にやけない、卑屈なスマイルをしない、です。

6. 英会話学校に通う
有料の英会話教室は結構高価なものです。出費が痛いですね。できれば通わず に済ませたいものですが、他に英語を聞く、話す機会がないのであればやむ を得ないと思います。
高い授業料を払い英会話学校に通うのであれば、最大限有効に活用しなくて はなりません。もったいないですし。
週に1回、ないし2回通うとします。で も、そこに通ってネイティブの先生の話を聴くだけでは上達しません。“絶対に” うまくなりません(と言いたいです)。
しかし、大きなメリットはあります。それは、一人で勉強すると長く続かず 止めてしまいがちです。学校に通うのは、勉強を継続していく動機付けになり ます。
それが一番の効用でしょうか。
英会話学校は、継続へのインセンティブだと考え、自分でコツコツ練習することです。自分でどれだけ自習したかで、すべて決まります。そうです、音読、朗読、暗唱、空で覚える、声を出す、です。
英会話学校に通う隠れた効用(メリット)は、勉強熱心な人達と友達になれるかもしれないことです。場合によっては、素敵な伴侶を見つけることもできるかもしれません(冗談じゃなく)。

7. 自分で英文を作る
これから英語を勉強しようとする人に向かって、「自分で英文を作る」なんて言うのは間違っていると思うかもしれません。でも、違うと思うのです。サラリーマンの方は、まず自分の仕事に関連したことで英語で説明できることを夢見ると思います。
そこでです。まず自分の仕事を外人に説明するとすれば、どんな話をすることになるだろうかと想像するのです。そして、それを日本語で書き留めます。文章の良さは関係ありません。質疑応答の会話形式でもいいですし、自分であらゆる場面を想定して書いてみます。A4数枚からスタートするのがいいでしょう。 それを自分で英訳するのです。broken English? ええ、それでいいのです。
何回か自分で校正して、まあいいかな、というレベルで十分です。
その原稿を、外人に向かって説明しているかのようにイメージして音読するのです。何回も音読します。だんだんと暗記できるようになります。何せ、普段担当している自分の仕事の内容だからです。
何十回と音読して、十分に慣れたら、原稿を見ないで説明してみましょう。相手が目の前に立っているのを想像して、話しかけるのです。
同じようなことを何回も繰り返します。
また、相手がするだろう質問も考え、自分の答えを書き出します。まずは日本語で、そして英訳するのです。Q &Aの練習です。
慣れてきたら、これも原稿を見ないで演技してみます。role playingです。一人二役のrole playingです。
broken Englishは全く心配しないでください。大丈夫です。徐々にいい英文になります。

8.アフター5は英語の勉強を最優先する(first priorityにする)
毎日のスケジュールを英語優先にするのです。よほどのことでない限り残業を しない、飲みに行くのも断る、英語の勉強を終えてから、他のことをするよう にする。
first priorityにはしますが、他のことをしないわけではありません。 学生なら易しいですが、家族がいるサラリーマンには特に難しいことで しょう。
人生の試練?そんなにまでして、どうして英語を話せるようになりた いのか…なんて迷いが出てくるかもしれません。

9.最低1年(2年か?)は頑張ってみる
1日2時間勉強するとします。週に5日、年間52週。1年で520時間。2年だと1040時間。通勤時間も有効に使えれば、3時間はできるかもしれません。すると1年で780時間。 中・高・大と10年間、私たちは英語を勉強してきた、とよく言います。まあ、形の上ではそうです。でも、自習をあまりしないで過ごした場合は、意外と10年間の時間数は少ないものです。まして、日ごろ英語を使わない場合は、昔覚えたことは忘れてしまいます。
大学を卒業して10年も経っているとしたら、どれだけの英単語を思い出せるでしょうか。それで今回、英語を話せるレベルに高めたいと思うのであれば、1000時間は費やす必要があるでしょう。
音読、暗唱などで、それだけの時間英語を勉強すれば、自分でも英語が出来るようになってきたと実感するでしょうし、周囲の人に「あいつは英語ができるよ」と言われるようになることでしょう(たぶん)。

10.自分の勉強方法を見つける
色々な人の推薦する“ベストだという方法”は、あなたにとってベストではな いことが多いものです。自分自身で納得できる方法、少しも違和感を抱かない 方法を見つけて継続すべきです。
あるいは、以前からなんとなく続けていた方法があり、特に問題ないと感じる のであれば、それを継続してもいいでしょう。それがたぶん、自分にとって ベストな方法かもしれないのです。
自分の置かれた立場、環境、必要とされる英語レベル(推測であれ)、あるいは 単に“好きだから”でもいいでしょう。
自分のやり方を発見して下さい。人それぞれみんな違うのですから。

高齢者の英語勉強法に何か良い方法ない?

定年退職された後の趣味として、英語を再度勉強したい、できれば英語が話せるようになりたい、と思う人もいると思うのです。私の知っている人の中にもそんな人が数人いますから。で、なんかいい方法ないですか、なんて聞かれたりします。
うーん、いい方法ね?いろいろな方法があると言えばある、ないと言えばない、 なんて言うと、ちょっとバカにされそうな雰囲気になりますね。
自分も含め、もっとうまくなれないものだろうか、と自問自答することは多いです。
マジックのような良い方法があれば、ホント、最高だろうに。

パソコン大好き人間の私なので、いつもパソコンの画面を見ているのですが、いろいろな宣伝にぶつかります。それぞれに良さそうな特徴がありそうだが、いずれも試してみたことがない私としては何ともコメントのしようがない、というのが正直なところ。
いい方法かもしれないと見えても、最低1年は試してみないと、その有効性は分からないだろうと思うのです。
私なりにいろいろ考えても、特別な方法はなさそうに思います。
80歳になろうとする今でも、特別な方法は思いつかないし、まあはっきり言って、マジックのような方法はない、と断言しておきましよう(笑)。

中学生や高校生なら、どんな方法でもいいから、数年試してみる価値はあると思います。ベストかどうかは別として、試して特に損はないと思うのです。
でも、高齢者になっているのなら、いろんな方法を新しく試してみるのも億劫なので、今までやってきた「自分のやり方」を続けることが一番無難でしょう、そう思います。
「自分のやり方」って、どんなものだったか少し吟味してみて、もし必要なら過去のやり方に多少の改良を加えてみるのもいいかもしれません。
まあ、そんなところでしょうか。

数年前、結婚したての頃の私の妻の随筆を見たことがあります。
当時英語がよくできたと思われていた私と結婚したので、英語がうまくなる特別な方法を実行しているのだろうと思ったそうですが、結局分かったことは、何のことはない、ただ朗読したり、単語を高校生のように暗記しているだけだったので、がっかりしたという趣旨の内容だった。
何故か苦笑。

今現役のサラリーマンなら、会社や担当の職務内容とそれに関連した想定問答集を英語で作成し(自分で書き上げるのですよ)、それらを暗記するまで口ずさむ、というのはベターな方法(ベストな方法?)の一つかもしれません。
でも、仕事から引退している人の場合、それも該当しないでしょう。

最低限、黙読はやめて、音読(朗読)を中心にすること、心に思ったことは英語に直してみる、は大切かと思います。

「英単語=その意味」で覚えることの“落とし穴”

例えば、「eat=食べる」と記憶する。中学で覚えるには十分かもしれない。
「食べる」という日本語を少し範囲の広い言葉に敷衍すると、ほとんどの英文を理解することができる。だから「食べる」で十分だ、という学習である。

これではeatを使った会話はできない。eatをそのまま(明瞭に)発音すると、命令形になる。
Eat! 食べろ!って、なんてこと言うの?と相手をイラッとさせるでしょう。
「食べる」ことを命令するシチュエーションって、ほとんどないはず。
不機嫌な親が子供に「食べろ」と怒鳴ることがないとは言えないが、珍しいことであろう。
eatと発音した時、その声のトーンによっては(自信をもって、はっきり発音すれば)意図せずに命令になってしまう。

昔、かの有名な松本亨先生がハワイに行って、税関の順番を待っている時、前の日本人がアメリカの係官に険悪な言葉で怒鳴られているのに遭遇したエピソードを本に書いている。
税関の係官は手荷物の中に羊羹を見つけ、「それは何か」と尋ねたらしい。
昔の事なので、その係官は日本の羊羹を知らなかったようである。
それで、くだんの日本人は“Eat”と言ったらしい。
税関の人は、「食べろ!」と言われて、カチンときたらしく、I don’t want to eat it!と声を荒げた。
係官はまた何かを言ったようだが、その日本人はまた、“Eat”と言った。
係官はNo! I don’t want to eat it!! と更に声を荒げた。
そこで松本先生は、何か誤解がありそうなのでhelpしましょうと申し出たとのこと。
ところが係官は、「いや、自分ところの通訳を読んでくるので、助けはいらない」と断った、という。
その日本人は税関の別室に連れていかれて、随分不愉快な経験をすることになっただろうと思う。楽しいはずのハワイ旅行をそんな“事件”で、ふいにしたくないものである。

正しい答えはSomething to eatとか、It’s a Japanese sweet…made of red beans and sugarとか、I will eat it myself とか言えば、問題なく税関を通れたと思われる。 eatの名詞形はeating なので、少なくとも最初に「eating」と言えていれば、次なる質問はあっても、係官を怒らせることはなかったのではないか…

その日本人の気持ちは私にもよくわかる。「食べろ」じゃなく「食べる(もの)」という意味だったはずであると。

英語のeatを単独で発語するシチュエーションはほとんどない。
おそらく全くない、と思う。
常に主語が付く(誰が食べるのか)、あるいはeatingのように名詞になるだろう。
「eat=食べる」と覚えても、会話では使い物にならないことをはっきり覚えておかなければならない。
eat, do, drink, take, sing, choose, make…実に多くの単語は、単独に発語すると命令形になる。
現実には外国人相手に命令形を使用する機会は皆無であろう。家族か会社内ならあるだろうけれども…

言わんとするポイントは、「sing=歌う」と記憶して終わり、という勉強の仕方はほぼ間違った勉強の仕方だ、と言いたいのである。
ほぼどんな時でも、主語が必要である。
I sing. You choose. He makes. などなど。まず主語が必要。
しかも現在形の原形のままで使うこともあまりない。
I sing.と言ったとしたら、相手は戸惑って、What do you mean?と聞いてくるであろう。
Oh, I sing every day. I practice singing. I began to sing last year. みたいに話さなければ、会話にならない。
I singの原形の表現だと、相手を(一瞬にしろ)戸惑わせることにしかならない。
まして、singだけだと、「歌え」と取られかねない。「なんでお前は俺に「歌え」なんていうのか?」とケンカになるかもしれない。

「eat=食べる」、「sing=歌う」を良しとする記憶法は大きな問題だ、と言いたい。英語で会話をしないのであればそれでいいが…。

語順が違う難しさ。考えるプロセスが違う。

中学校で英語を習い始めた頃、I am a boy. This is a pen. という文章が英語の教科書に出てきました。
「私は、です、一人の少年」「これは、です、一本のペン」
機械的に意味を覚えながら不思議な語順だなあと、当時思った記憶があります。
何で「私は、です」と、「です」が「少年」の前に来るのだろう。
普通「私は」なんて言わないし、あえて言うとしたら「僕、少年(大人じゃない)」や、「これ、ぺん(鉛筆じゃないよ)」と言うだろうと。「です」を言うとしても、一番後だよなと。
慣れてくると、簡単な構文の場合、あまり違和感がなくなりました。でもちょっと複雑な文章だと一苦労でした。今でも、ときどき苦労しますね。

こんな日本語の文章はどうだろう。
「しばらく続いていた上向きの景気は、この数日で消え去ったかのようだ。再び底なしの不景気に落ち込むと不安がる企業経営者は少なくないらしい。」
英語で発想するとすれば、「景気 (the economy) 」が主語。「しばらく続いた上向きの」はそれを修飾する表現。
日本語で考えると、「しばらく続いた」という言葉が「景気」の先にまず頭に浮かぶ。「景気」が出てきて、次に「しばらく続いた」とは考えない。
次に英語では「企業経営者」が主語。それにしても、その前の表現が長い。「再び底なしの不景気に落ち込むと不安がる」が、英語では「企業経営者」の後に続くのが普通。
アメリカ人なら、「corporate management」のように、まず主語が頭に浮かぶ。
次に「recession might come again」とか「recession might hit the country」とか「the economy might plummet again」などという言葉が浮ぶだろう。
さて、その後をどうつなげるのか。
「corporate management」と頭によぎった瞬間に「many」が浮んで「many corporate management」と語順を変えてしまうかもしれない。
「many corporate management」が「不景気に落ち込むと不安がる」と考えるのではないかと思います。
上のようなごく日常的な文章でも、日本語と英語では語順が随分と違う。
長年、英語に慣れてきても、私には「しばらく続いていた…」がつい最初に頭に浮かんでしまうことがあります。
そんな時は、頭の中で一時ストップして英語で考え、それらしい文章に組み立てる。
私の経験からもこの語順の問題は大きいと言えます。

「何も見えない闇で、波の音がよく聞こえてくる感じがした」なんていう文章が頭によぎった時、さて、英語ではどう話し始めるのだろうか。
It was really dark. I only heard the sound of waves.
まあこんな感じだろうか。
この日本語の文章では主語は明示されていません。でも、英語ではまず「it」と「I」という主語を明確にします。
また、「闇」というのは単に「dark」でよいのか。「何も見えない」をどう表すのか。「闇」なら、何も見えないのは当然だから、単に「dark」でいいか。
次に「聞こえてくる」は、どうするのだろう。「聞こえてくる」って、波の音が距離をたどってこちらに届いたという雰囲気を、どう英語にするのか?
 結局、この日本語と英語の文章の語順はかなり違うことになると思います。
それと一字一句的には、ニュアンスも少し違います。 

日本語と英語の語順。
言語(文化?)の違いが語順を変えてしまう。そして、意味する範囲も少し(かなり?)違ったものになる。
本当に英語に堪能になるとは、それを飛び越えることなのだろう。その跳躍や脱落、またニューアンスの変容を意識しなくなった時が、本当に英語に堪能になった時なのだろう、と私は思います。

英語を話す時の、英語以外の“ルール・習慣”

英語を覚えて英語で会話をする時、英語(言語)以外の身振り、手振り、視線、顔の表情、その他のボディーランゲージなどがコミュニケーションに深くかかわってきます。
私が今まで心がけてきたことを思いつくまま、少し例を挙げてみたいと思います。

1. いちいち相槌を打たない。顔を上下に動かさない。じっと聞く。
2. ジョークを言われた時以外は、笑わない。真顔で通す。
3. 質問する時は、ストレートに質問する。“遠慮勝ちに、笑いながら”はしない。
4. 相手が話している時は、目を見る。鼻や口でも、ネクタイでもない。
5. 普通の会話の時は、表情豊かに、手振り、身振りをまじえて話す。
6. 英語の単語が出てこない時はしっかり間を取ってもいい。焦らない。
7.声のトーンを上げない。他人行儀、敬語、謙譲などの気遣い(気配り)をしない。
8.敬語的英語を探さない。対等のつもりで、普通の文章で話す。
9.英語は下手で当たりまえ、と割り切って、ブロークンで堂々と話す。
10.おどおどした態度、ちょこまかした態度で接しない。ゆったりと、冷静に接する。
11.雰囲気を和らげようと、愛想笑いをしない。(正直じゃない人間と思われてしまう)
12.「自分は英語が下手で…」と謝らない。
13.ビジネス以外なら、笑顔で応対することはいいこと。
14.連れだってどこかへ行こうとするとき、行く先を話し、同意を得る。勝手に歩き出さない。
15.日本人同士でクスクス笑いをしない。疑心暗鬼にさせる。
16.Noをごまかさない。きっぱりと言う。ただし、語調は柔らかく。
17.断るときは、理由を付け加える。プライベートなことでも。
18.話は明快に。行間を読まない、阿吽の呼吸もダメ。
19.口の奥を響かせた声(喉に響かせる)で話すと、コミュニケーションが濃密になる。
20.日本語を使う時、ボソボソと(一人言のように)言わない。はっきりと言う。
21.日本(自分の国)を悪く言わない。卑下しない。
22.違う語彙を使う。goodだけじゃなく、fine, wonderful, beautiful, nice-looking, etc.
23.背筋を伸ばして話す。頭を高く、背を丸めない。腰を落とさない。
24.わからないことはすぐ質問する。質問は関心の高さを示す。質問は反対を意味しない。
25.握手する時は、お辞儀をしない。目を見る。
26.暗い表情は負け犬。無表情な能面にならない。できるだけエネルギッシュに。
27.腕を組まない。腕は自由にして、ジェスチャーのために使う。
28.意味なく笑わない。薄笑いをしない。苦笑いをしない。 
29.知らないことは「知らない、答えを持っていない」とはっきり言う。恥ではない。
30.恐れないで、反対意見を言う。ただし、表現に注意。
31.相手が言った言葉をおうむ返しに、繰り返さない。できるだけ違う表現(語彙)で言う。
32.早口でしゃべる必要はない。自分のペースを守る。
33.相手に分からないだろうという態度で、日本人同士で日本語を話さない。
34.言葉に出したことだけを理解し、一語一語、額面通りに受け取る。
35.先輩、後輩、地位の上下、年齢の上下などは、ほとんど気にしない。
36.どんな些細なことでも、「私、こう思う」と言う。
37.コーヒーか紅茶か、どっちを望むかと質問されたら、即答できなくてはならない。
38.握手は「同意、賛同、交渉成立、今後もよろしく」の意味がある。手に力を籠める。
39.可笑しい時は、はっきり笑う。笑いを押さえない。
40.アメリカ人が話し始めるのを待たない。聞き役のクセを捨てる。 
41.事実と推測とは明確に区分して話す。
42.「何か質問がありますか」といつも訊く。質問を恐れない。
43.何でも書類を見て答えようとしない。暗記していることが優秀さを印象づける。
44.話題を変える時は、「話は違うのですが」と断りを言う。
45. 質問されたことにはストレーに答える。質問を無視して、他の話題を始めない。
46. 「例えば」と言った時は、一つではなく、できれば三つ、例を挙げる。
47. 頭の中で文章を作ってから、ではなく、まずしゃべり始める。etc.

こんなこと英語とは関係ない、と言う人もいるかもしれない。
(特に英語・英文学のエキスパートや専門家を自認している一部の方々などは…)
しかし、コミュニケーションは言葉が2割、その他が8割という調査もあるようです。
楽しい時は楽しい顔や態度で、シビアなビジネスの交渉はシビアな表情で遠慮なくどんどん交渉する、というのが英語を話す人の態度でなければならないと思います。

英語の文法はどうやって勉強したのか?

中学や高校で文法は学ぶ。
過去や現在形、時制の一致、現在完了や過去完了… 今や、あまり思い出せないくらい遠い記憶になっている。
誰かに言われれば、「あ、それ習ったよ」と思い出すかもしれない程度の記憶。

私が文章を書く時、文法を気にしているかと言うと、実は全く気にしていない。
日本語と同じ。 日本語で文章を書く時、日本語の文法を気にするだろうか?
日本語に文法ってあるんだっけ?くらいの意識しかない。
英語の場合は、そこまで気にしないわけではないが、まあほとんど気にしない。
普段、まったく気にしていないと言っていい。

じゃあ、どうやって、“正しい”英文を書いているのか。
文法を気にしていないとしても、なぜ結果として文法的にも正しい英文が書けるのか。
それは日本語と同じ。語感、文章(話)の流れを気にして書いているから。

英語の語感や文章の流れをどうやって身に着けたのかと言うと、それは過去に習った文章を無意識の領域にまで落とし込んだ、としか言えない。
こんな話を読んでも、ほとんどの人はピーンと来ないかもしれない。
そう、文法を気にしない程度のレベルにならないと、この話はピーンと来ないだろうと思うのです(笑)
決して自慢しているわけではありませんよ…自分の体験を言っているまでです。

英語の話の流れと、日本語の話の流れは違うことが多いです。
一つ例を挙げてみますね。
親しい友人の間の会話。
 「え、昨日デパートに行ったの!よりによって。そりゃ大変だったでしょう。日曜だし、天気も良かったし、混んでて。うん、それで、何、買ったの?」
英語で同じような話は次のようになると思います。
“Oh my, you went to the department store yesterday! Why did you go there yesterday? It must have been crowded. It was Sunday and was a fine day. And what did you buy?”

これは一文ずつ翻訳するつもりではなく、その情景を全体的にただ英文で書き留めたものです。この話はとても簡単な話なので、ほとんど翻訳に近いですが、直訳とは少し違う文章だと思います。
もしこれが、高校の英訳のテストなら、50、60点留まりかも。
「よりによって」、「そりゃ、大変だったでしょう」は直訳していません。ニュアンスを捉えているだけです。その他、語順も違っています。
この英文の文法?基本は過去形の文章。
must have beenは文法的に何というのか?さあ…

英語の例文を一つ一つ音読して暗記していくと、文法なるものが自然に体に染み込んでいくのです。そして迷ったときにだけ、文法書を開く。それでいいのではないかと思います。
私の本棚にも分厚い文法書はあります。先日、進行形過去完了ってどういうのだっけ?と、ちょっとその本を開いてみました。

この話の結論は、「繰り返して、その文章のニュアンス、雰囲気を体に染みこませる」でしょうか。 私はそうやって“文法”を身に付けました。

英語の音読が大切な理由

私は中学の教科書などをよく音読しました。
昔の同時通訳者の国弘正雄さんは教科書を500回とか1000回音読したらしいのですが、田舎の中学生だった私に「音読しなさい」とアドバイスする人は誰もいませんでした。
普通教科書は2、3回黙読して、単語の意味と発音をチェックして先に進むという勉強方法でよかったはずなのですが、私はなんとなく自然に10回とか20回授業の範囲の英文を音読していたのです。

中学・高校の頃、この音読が将来どう影響するのか全く考えたこともなく、ただ音読が好きだったのでひたすら音読し続けていました。
その習慣が大学卒業後にアメリカ留学という思わぬ幸運を私にくれることになるのです。
しかも留学1年目から、学部の学生を相手(アメリカですから、全員アメリカ人!)に論理学の講義をすることになったのです。

音読は受験には不利
 最近、一流大学の入試に成功する英語勉強法はこれだ、という受験指南書を読みました。
その本には、日本の一流の大学に合格するためにはひたすら単語を覚え、その数を増やすことが大事だと書いてありました。
文部省の指導要領では、中学と高校の履修語数は約3000語とのこと。
しかし、ある程度名の通った大学に合格するには5~6000語、更に一流大学に合格するには1万語の単語を覚える必要があるというのです…

ひたすら単語の意味を覚えることと音読とは、全く対極にある行動です。
音読はとにかく時間がかかる。何倍も時間がかかります。
音読で英文が体に浸み込んだと感じるには、膨大な時間と忍耐が必要です。

私は中学の1年から英語が好きで、勉強もよくしていたのですが、ほとんど音読に時間を使っていたので高校の実力試験(範囲のない出題)では、成績は振るわなかったものです。 試験では知らない単語が容赦なく出てくるのですから、回答ができないわけです。
ですから当時自分は勉強ができない子だと思っていました。私の同級生も皆そう思っていたと思います。
この年齢になってこの本を読んで、中学生・高校生で音読をよくやる子は受験には不利なんだ…と言うことに初めて気がついたのです。

それでも音読を推奨したい
音読に時間をさくことは受験には不利です。
でも私の経験から言って、本当に英語を身に着けたいと思うのなら音読は絶対に欠かせない行動です。
もしあなたが本気で英語を話せるようになりたいと思うのなら、ぜひ音読をすることをお勧めします。

音読の“功徳”
1)声を出すと、口の筋肉が英語に慣れる。
2)英語の読み方がだんだんとスムーズになる。
3)自分の声で、英語を“聞く”ことになる。
4)英語が体に“浸み込んでくる”。
5)音読の間、英文の意味を想像する。英語のままで意味が浮んでくるようになる。

音読はなるべく大きな声で行いましょう。
発音は最初は気にしなくてもいいです。カタカナ発音でも構わないのです。
音読に余裕が出てきたら、th, r, l, f, vなどの特有の発音に気を付けるようにしていけばいいと思います。

英会話ができるようになりたいなら、2年は頑張ろう

以前どこかで読んだのだが、アメリカの外交官で日本へ派遣されると決まって日本語の研修を本格的に受ける場合、その研修時間は約2000時間になるという。
その研修はクラスで1日5時間、週5日として、25時間、年に52週として、年間1300時間、1年半で、1950時間。
それに自習時間が上乗せされて、2500時間くらいになるか。
日本語ばっかり勉強してもこれだけ時間がかかる。

日本人は大学を卒業するまでに、英語学習に約740時間かけるという。
自宅で予習・復習もしたとして、その時間を含めて1500時間程度英語を勉強したことになるかもしれない(仮の推測)。
さあ、あと1000時間。
一日2時間、週5日間勉強するとする。週に10時間勉強することになる。
1年は52週なので、1年で520時間。2年で1040時間。
社会人になって、2年かけて1000時間以上追加で勉強すれば、ざっと合計で2500時間になる。

サラリーマンになって、毎日働いているのに一日2時間、しかも2年間続けるって、並大抵のことではない。
そう。並大抵の覚悟じゃできない。
禅僧の座禅の修行にも似ているかもしれない…。

では具体的なプログラムはどうすればいいのか。
 何か教材一式を買う?
 英会話学校に通う? 
 電車の中ではCDを聞きっぱなしにする?

目指すレベルはどこなのか。
 会社の仕事に使いたいのか?
 観光で通じればいいのか?
  映画を字幕なしで楽しみたい? 
エトセトラ、エトセトラ…

私が言えるのは、まずはとことん自分で考えて探してほしい、ということ。
色々な人が推薦する“ベストだという方法”は、あなたにとってベストではない場合も多い。
やり方がわからなくても、自分自身が納得できる方法、違和感を抱かない方法を見つけて継続していくべきです。

そのくらいの気持ちがないと、とても2年も勉強は続けられない。

読んで記憶したことで英語は話せるようになる?

先日、アジアの地政学をテーマにした歴史の本を読んでいた時、ふっと思ったのですが、歴史的な経緯と時代の背景を読んで、ある程度内容を記憶すると、本を読んだ目的は達成されたと感じるものです。
高校の世界史も日本史も、読んで記憶して終わり。それで試験問題には回答できる。言い換えれば、「読んで、記憶する」がその科目の勉強の目的、と学校時代に身に着けて私たちは育つように思います。

英語の勉強はどうなのか?
英文を読んで訳ができ、使われている単語の意味を記憶する。
昔も今もたいていはそんな風に勉強するのではないでしょうか。
中学、高校の授業の習慣から、「読んで、記憶すれば」その勉強は終わり。
英語も同じだと私たちは思っていないでしょうか。

大学受験では何故か英語は重要科目として扱われています。だから、よく勉強したという卒業生は多いと思います。
英文を読んで文章の意味を理解し、そして試験の質問に答える勉強。
その結果、卒業して社会人になった時、英語は喋れるようになっているでしょうか。
答えはおそらく、ほとんどが「話せない」ではないでしょうか…

黙読と音読は違う行為(作業)

「読んで、記憶した」と話すことは、全く違う行為ですね。
一方は、口を動かしていないですから。
日本語の教科書を音読する風景は小学校1、2年生くらいまででしょうか。
中学生になっても教科書を音読するって、なんかカッコ悪い、ちょっと気恥しいと感じませんか?
ましてや大人になって何かを音読するなんて、バカっぽいと自分で思うのではないでしょうか。
例えば、家族のいる居間で新聞を音読ってできる??

よく聞く例えとして、水泳の本を読んで泳ぎ方を記憶しても、泳げないのは当然だと言います。ジョギングの解説本を読んで走り方を記憶しても、実際に走ってみないと走れないですよね。
まさしくそうなんです。

中学の時から「読んで、記憶した」レベルでは、話すことはできません。
話すことができるためには、話すという行為を続けなければなりません。
話すという動作を体に覚えこませなければなりません。

Repeat after meって、よく英語の先生は言うでしょう。
1回はrepeatするでしょうけど、1回ではだめでしょう。
10回、20回、30回って、repeatしないと身に付かないのです。
「身に付く」とは、ほぼ無意識にできることを意味するのですから、何とも気の長い話です。
時間がかかります。 読んで覚える以外に、何倍もの時間を「話すこと」の練習にかけなければなりません。
学校時代にそんな時間、普通はないですよね。
でも、やっぱり音読(朗読)しなければ、口の筋肉が自由に動いてくれません。

本気で話したいなら、途方もない根気の勝負!なのです。