読んで記憶したことで英語は話せるようになる?

先日、アジアの地政学をテーマにした歴史の本を読んでいた時、ふっと思ったのですが、歴史的な経緯と時代の背景を読んで、ある程度内容を記憶すると、本を読んだ目的は達成されたと感じるものです。
高校の世界史も日本史も、読んで記憶して終わり。それで試験問題には回答できる。言い換えれば、「読んで、記憶する」がその科目の勉強の目的、と学校時代に身に着けて私たちは育つように思います。

英語の勉強はどうなのか?
英文を読んで訳ができ、使われている単語の意味を記憶する。
昔も今もたいていはそんな風に勉強するのではないでしょうか。
中学、高校の授業の習慣から、「読んで、記憶すれば」その勉強は終わり。
英語も同じだと私たちは思っていないでしょうか。

大学受験では何故か英語は重要科目として扱われています。だから、よく勉強したという卒業生は多いと思います。
英文を読んで文章の意味を理解し、そして試験の質問に答える勉強。
その結果、卒業して社会人になった時、英語は喋れるようになっているでしょうか。
答えはおそらく、ほとんどが「話せない」ではないでしょうか…

黙読と音読は違う行為(作業)

「読んで、記憶した」と話すことは、全く違う行為ですね。
一方は、口を動かしていないですから。
日本語の教科書を音読する風景は小学校1、2年生くらいまででしょうか。
中学生になっても教科書を音読するって、なんかカッコ悪い、ちょっと気恥しいと感じませんか?
ましてや大人になって何かを音読するなんて、バカっぽいと自分で思うのではないでしょうか。
例えば、家族のいる居間で新聞を音読ってできる??

よく聞く例えとして、水泳の本を読んで泳ぎ方を記憶しても、泳げないのは当然だと言います。ジョギングの解説本を読んで走り方を記憶しても、実際に走ってみないと走れないですよね。
まさしくそうなんです。

中学の時から「読んで、記憶した」レベルでは、話すことはできません。
話すことができるためには、話すという行為を続けなければなりません。
話すという動作を体に覚えこませなければなりません。

Repeat after meって、よく英語の先生は言うでしょう。
1回はrepeatするでしょうけど、1回ではだめでしょう。
10回、20回、30回って、repeatしないと身に付かないのです。
「身に付く」とは、ほぼ無意識にできることを意味するのですから、何とも気の長い話です。
時間がかかります。 読んで覚える以外に、何倍もの時間を「話すこと」の練習にかけなければなりません。
学校時代にそんな時間、普通はないですよね。
でも、やっぱり音読(朗読)しなければ、口の筋肉が自由に動いてくれません。

本気で話したいなら、途方もない根気の勝負!なのです。

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