もう40年も前の本だが、池田摩耶子という人がアメリカの大学で日本文学を教えていた頃のことを書いています。その中に「虫が鳴く」という表現を教えるのに苦労した経験が載っています。
川端康成の「山の音」と言う小説の中の「八月の十日前だが、虫が鳴いている」という文章は、日本語専攻の学生には文法的には易しいのだが、その意味するところが全く分からないのだという。
「虫が鳴く?何それ?鳴くわけないでしょ!」 アメリカ人の学生は喧々諤々、色々なことを言ったらしい。
池田さんによると、虫= insect, bug, wormとは彼らにとって、「鳴く」存在ではないのだと。
そこで、教室の中で、鈴虫ならリーンリーン、松虫ならチンチロリン、クツワ虫ならガチャガチャ、油蝉ならジージー、くま蝉ならシャーシャー、法師蝉ならオーシーツクツク、オーシーツクツク、などと虫の鳴き声のまねを実演する羽目になり、アメリカ人の学生は大笑いしたらしい。
池田さんによると、ボストンでもケンブリッジでもカリフォルニアのスタンフォード大のキャンパスでも、虫はちゃんと鳴いているのだが、アメリカ人の学生はまったく「聞いていない」のだという。 聞く耳を育てていないとのこと。
「八月の十日前だが」の意味も、何故この文章に入っているのかがわからないらしい。
夏なのに、もう秋を思わせる虫の鳴き声、というニュアンスが全く分からないのだという。
「虫」の声を聞いて、しんみりしたり、悲しくなってしまう感覚は日本人特有のものなのでしょうか。
ところで、「虫」について、日本語ではいろいろな表現があります。
虫のいい selfish
虫の好かぬやつ a disagreeable person
虫の知らせ a hunch
腹の虫が納まらない dissatisfied
本の虫 a bookworm
虫の息 be dying
浮気の虫が起こる have an amorous(多情の)itching
虫が良すぎる asking too much
虫の居所が悪い be in a bad mood
虫も殺さぬ innocent-looking
泣き虫 a crybaby
虫の食った worm-eaten
虫が起こる become petulant
虫がつく have a lover
虫干し airing
虫歯 a bad tooth
虫けら同然 be good-for-nothing
虫眼鏡 magnifying glass
虫酸が走る feel disgusted with
(英語は和英辞書から)
私達日本人は「むし、虫」という言葉について、深く考えることはありません。
これだけ多くの用例があるのですから、「むし」は何か本質的な意味のある言葉なのではないか、と思うのですが、私にはよく分かりません。
少し想像力をたくましくして考えてみると、例えば何千年か前の昔、日本人は「むし」を体の中の一片の“うずき”( “虫酸が走る”、小さな体内の異変)と考えていて、蚊やハエやノミ、その他の小さな生き物は個別の名前で表現し、「虫」を「むし」という言葉では表現していなかった。
そして1500年前頃、中国から漢字が入ってきて、「虫」と言う言葉を知り、それまで個別に言っていた小さな生き物をすべて「虫」と分類するのだと知り、「むし」と同じ音をあてはめた。
それ以来、それらの小さな生物を「虫・むし」と言い続けた(?)
私は「むし」と「虫」とは違うのではないか…と思ったりします(笑)
いずれにしても、「虫」も「むし」も日本人にとって、遥かな昔からとても大切なものなのでしょう。