自分がどんなレベルの英語を話したいか、とそのレベルを意識したのは、今から考えると随分後(社会人になってずっと経ってから)のことだと思う。
それまでは「目指すレベル」などという“おこがましい”ことは考えたことがなかった。
ただただ英語が好きで、少しでもスムーズに話せればいいとだけ思っていた。
ネイティブの英語の魅力には惹かれていたが、それが目標というわけではなかった。
英語を勉強しながら、アメリカ人の胸の奥から響く、何とも言えない“深い音声”に心惹かれることは多かったが。
アメリカ人と仕事にしろ政治経済にしろ、自由に話したい、語りたい、意見を交換したい、と明確に意識するようになったのは、アメリカの企業の日本支社に入り英語を使って仕事をするようになった頃だったと思う。
かなり英語に自信もついてきて、自分でもなんとかすればもっといい線に行けるかもしれないと感じるようになった頃からだった。
その「いい線」がネイティブ並みのレベルということではなく、ネイティブと冷静に議論を交わせるレベル、アメリカ人の反対意見を説得して賛成させることの出来るレベル…に近い気持ちだった。
外資系企業に入社してしばらく経った頃、営業内勤の部署に回され営業・マーケティングの仕事を担当するようになると、本社の関係部署とも連絡が密になり、彼らの説明を聞くだけでなく日本なりの考え方、国内状況の説明もしなければならないことも多くなった。
来日した本社の担当者と色々議論もしなければならない。
アメリカのマ-ケティングが日本で通用しないことも多かったのだ。
本社の担当者から、「アジアでも日本以外は大きなシェアを獲得する業績を上げているのに、日本だけは弱小メーカ一にとどまっているのは何故なのか。日本人の働き方が可笑しいのではないか」と言われて、そんなはずはないと反論したかった。
子会社の社員の立場でたいしたこともできなかったが、彼らの販売方法の違いについて随分考えさせられたものである。
そんな中、もっとアメリカ人並みの言語能力を身に着けたいと思うようになっていったが、しかし私自身の限界もだんだんとはっきり見えてきた。
会社に勤めて10年以上たった頃、自分の目指す英語のレベルは「ネイティブ並みではなく、自分の話す言葉が正確に相手に伝わること。しかもできるだけ上品に聞こえること」と考えるようになった。
ただ言いたいことが伝わればいい、ではなく、外国人(non-native ) として上品な話し方で伝えたいと思ったのだ。
今も(80歳になろうとする今)この考え方は変わらない。
私はYeahとは言わず、必ずYesということにしている。
gonnaとは言わず going to、Hey とは言わずHelloと言う。
スラングは使わない(覚えようとしない)。
water をワラとは発音しない。
主語、動詞、目的語がきちんとした文章を話し、省略形はほとんど使わない。
それが最終的に私が目指した英語のレベル。
それはほぼ、達成できたと思う。
(最近は、簡単な言葉もなかなか出てこなくて、老人の悩みを強く感じるようになってはいるが…)