「気」と「こころ」

何気なく使っている英語と日本語の対比で、かなりの“ずれ”があることに気づかされることがあります。
例えば、「おはよう」という日本語は英語でgood morningです。 日本語は「早い、遅い」の意味が内包されており、good morningは「いい、悪い」を暗示しています。
ほとんど疑問に思わず同じものだと思って使っていますが、文化的に大きな違いが含まれているように思います。
日本人は何千年もの稲作の歴史から、朝早く作業を開始することが必要だったのでしょう。
一方、good morning, good afternoon, good nightの国では、神の規範に照らして、いいか悪いかだったのではないでしょうか(たぶん)。

まだ時々日中でも寒いことがありますが、英語のcoldと言う言葉は「寒い」だけでなく、水がつめたい、ビールがひえた、気持ちがさめた、態度がよそよそしい、人が冷淡など、いろいろなシチュエーションに使える言葉です。
coldという言葉にそれらすべての意味が混然一体となって内包していると言えます。
言葉の意味の“広がり”でしょう。
一方、日本語の「冷たい」と「寒い」とは違う言葉です。
「今日は寒いですね」を「今日は冷たいですね」とは言いません。「このビール、寒いですね」とも言いません。
でも、英語はcold なんです。

日本語にも大きな広がりを持つ言葉があります。
例を挙げると、「気」です。
「気をつける」を英語に直すと、take care of とかpay attention to(和英辞典)になります。「気を失う」はfaintとか lose one’s consciousnessの訳が出てきます。
「気」に付いて、普段よく使う言葉を列挙してみます。
気がある
気が知れない
気が合う
気が小さい
気が散る
気がふさぐ
気が引ける
気が変わる
気が気でない
気が利く
気がくじける
気が長い
気が乗る
気が抜ける
気が大きい
気が楽になる
気が進む
気が立つ
気が遠くなる
気が付く
気が荒い
気のない
気のせい
気の弱い
気の若い
実に多くの表現があります。
日本人なら誰でも何の違和感もなく、日常的に使う日本語です。
こんな日常の日本語「気」に対応する英語が単語としては存在しないのです。
不思議と言えば不思議です。
「気」の英単語はないですが、同じ趣旨のことはすべて英語で表現できます。
take care とかfaintがそうです。
この「気」って、何なのだろうか。なぜ私たちは「気」をこんなに頻繁に使うのでしょうか。

もう一つ例を挙げれば、「こころ」です。「こころ」は心と書く。
心臓の心とすれば、英語ではheartです。英語のheartは臓器以外にも、情緒や感情に深く関わっているという考え方があり、臓器としてのheart以外の意味でも使われます。
しかし、ひらがなで表記した「こころ」は心臓heartと言う意味が全くありません。
以下の表現には日本語独特の「こころ」の意味があるように思います。
「心」の表現を少し列挙してみましょう。
心に浮かぶ
心に描く
心が変わる
心無い
心を奪う
心当たりがある
心を鬼にする
心ある
心ゆくばかり
心を込めて
心の狭い
心の優しい
心ゆくばかり
心から
心ここにない
心の大きい
心に抱く
心を失う
心をひく
実に多くの日常的な表現があり、私たちは何気なく使っています。
「こころ」(心)って、何なんだろう。
“心ここにあらず”の時、私たちは“我を忘れている”ように思います。
すると“こころ”と“我”とが同じなのでしょうか。 “我”は自我、自己、自意識、もう一人の自分、などかもしれません。 でも、頭の働きmindともかなり違うように感じます。

私達日本人は「気」と「心」の定義を考えることはほとんどありません。 私も、昔はさほど気にしたことがありませんでした。
しかし、英語と日本語の対訳をする機会が続くと、時々日英の言葉の違いに不思議さを感じることがあるのです。
日本語にも英語にも、それぞれの長い長い伝統、文化などが独自に内包され、複雑な広がりを持つと感じる次第です。

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