「質問=恥」ではない英語文化

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺がある。
日本では質問することは自分の無知をさらけ出すことになり、恥とされる。
分からないまま過ごすと“一生の恥”だとは思っているが、聞くのはやっぱり勇気が必要。何故って、恥だと思うから。
私達日本人は「質問する=恥をさらす」と思っているらしい。

会社の会議で、上司が指示を出す。部下はただ聞いてその場をやり過ごす。
もし分からなければ、後で他の同僚に「あれってなんのこと?」と聞いて確認するが、その同僚も分からないことがある。
別の同僚に聞くと「多分こういうことだと思うよ」と言って、解説してくれる。
長いキャリアの人は、部内の事情から推察して多分こういうことだと推測してくれるわけである。
時には誰も分からず「それって大して重要なことじゃないからいいんじゃない?」という結論になったりする。

アメリカ人が主催する会議では、Any questions? と言って会議を締めくくる。
そんな時、何も質問がないと答えると「こいつ、関心がないんだな」と勘ぐられてしまう。
だから、間髪を入れずシンプルな質問をすることが好ましい。
アメリカの大学の授業では、質問をすることが成績評価にも影響する。
私が留学していた約60年前も、10年前の遊学の時も全く変わらなかった。
質問することはいいことなのだ。

日本では立派な質問だけは質問していいが、シンプルなくだらない質問をしたりすると、会社内の評価を下げてしまうし、質問された上司が怒ったりする。
また、日本では「質問すること」は暗に反対、賛成できないというニュアンスを伝えることもあるので、質問しただけで嫌われてしまうことも多い。

一般に会話の中で「どうして?」と聞くことは稀だし、また聞いてもなんとなく無視されてしまうことが多い。意識的に無視するのではなく、ほとんど無意識の無視である。
「どうして?」と言う質問に、「どうしてなんでしょうねぇ…そうですよねぇ…」と言いながら、答えもせずそのまま話が進んでいく。

人の言わんとすることくらい察してよ、と言うのが日本人の感覚なのであろう。

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