最近40代の娘が、長く勤めている今の会社の仕事がもしかしたら自分の天職なのかもしれないとようやく思えるようになってきた‥というような話をしていて、自分の社会人人生を振り返ってメールでアドバイスを送ったところ、なかなか好評??だったので、少し修正してブログに載せることにしました。
以下メールより
私がアメリカから帰国後、持っていた教員免許で教師になることは頭になく、なんとなく英語を使える仕事をしたい、 と思っていたけど、北海道の地元ではそんな仕事はなく、Time / Life社の仕事に応募してわざわざ東京まで面接に上京したこともあった。
でも当時私は職業経験ゼロの新卒だったので就職できなかった。
結局、翌年(1967年2月)になって、Japan TimesのHelp Wantedの仕事に次から次へと応募するために、 思い切って東京に出てきました。
すぐに見つかったのは、英会話学校の講師の仕事でした。
しかもラッキーにも、学校の近くに部屋を借りることもできて、そこに移りました。
その部屋は、英会話学校の経営者だった人が教会の掲示板に「部屋貸します」という張り紙を見た、と言うことで私を連れて行ってくれたのです。
大家さん一家は年老いた母親と娘さんの二人住まいで、男が住んでいれば防犯になると思っていたらしい。
英会話講師は、私の“天職”と言うべきものかもしれないほど大好きな仕事でした。
今でも英語が大好きだし、当時も大好きだった。
でも英会話学校の授業って夕方からしか仕事がなくて、朝から夕方まで暇だし、 朝から働きに行ける人を見てうらやましかった。
その「うらやましい気持ち」は少しづつ強くなっていきました。
最初に働いた製薬会社は、実は上京後間もなくして「通訳/翻訳」と言う仕事の募集がJapan Timesにあったので、私は応募したのです。
でも書類選考で落ちてしまった。
9月になって、会社の人からもう一度応募してくれないかと誘いがあった。
なんと、半年も適任者を探したけどいい人が見つからなかったということだった。
9月になって私は「通訳/翻訳」として、会社に入社した。
実は通訳の経験も翻訳の経験もゼロだったけど、 とにかく朝から会社と言うものに通勤したかった。
「うらやましい気持ち」がずっと募っていたので、仕事の内容と言うより朝から会社に行けることが嬉しかったね。
まあ英語は大好きだったので、最初は「通訳/翻訳」も仕事として良かった。
営業レポートを大量に訳したり、 営業マンと外国人マネジャーの通訳をやっていると、会社の仕事が素早く理解できるようになったことなど、メリットは大きかったと思う。
でも何年も通訳をやっていると「自分の考えを言いたい」と言う気持ちが強まるものです。
他人の言葉をできるだけ正確に訳すだけのことに、ちょっと“つまらない”と思うようになっていった。
数年後、会社で通訳以外に宣伝/マーケティングの仕事を担当することになり、随分長く担当した。
でも、宣伝/マーケティングという仕事は「自分には合っているようで、合っていない」ような仕事だった。
そして、図らずも人事に異動になった。
最初全く未経験な仕事で戸惑ったし、何をやればいいのかもわからなかった。
人の採用くらいははっきりしている仕事だったけど。
だから、人事を最初から自分の“天職”とは感じなかった。
人事を3年やってから、また営業に戻って室長になった。
自分としては、かなり「自分の仕事」と言う感じは持ったものです。
それから48歳の時、他の外資系の企業にリクルートされた。
なぜかそこに「人事部長」として入社。
それからだんだん人事は自分の“天職”と 思うようになった。
今でも人事は“天職だった”と思う。ただ、自分の欠点はfire(解雇)の仕事には向いていないと言うことは、はっきりしたけど。
まあ、“天職”といってもその仕事がすべて好きだ、と言うことにはならないね。
とまあ、長く書いたけど、本当はもっと長く話をしたいけど…やめときます。
結論は、会社が与えてくれた仕事の中でも、“天職”と感じるものがあり得る、と言うことだね。
それは多くの場合、自分一人が孤独に、独立して、探し得るものでもない、ということだね。
“天職”ってどこか遠い夢のような仕事、とは限らないものだね。
父